2013 March

Paris

 

Pavillon de l'Arsenal に「WORKS IN PROCESS neuveaux breaux - nouveaux usges 」を見に行く。ジャック・タチの映画のように未来のオフィスの提案なども興味深い。

 
 
 
パリ市の経営によるこの建築・都市計画の展示場はいつもとても充実した展示内容で、今のパリのムーブメントを知る事の出来る。1階のフロアは Paris Visites Guidee 、3世紀から現在までのパリの変遷が資料やヴィジュアルと共に見られる。普段なにげなく見ている建物が、いつ頃誰によって建てられたかなどを知ることが出来て面白い。

 

Paris

 
 
「Olympiades Paris 13e - Une modernite contemporaine」展を階上で見る。パリ、13区のオリンピック建築の40年後。オリンピックと万博はその都市を、都市計画から大きく変えるほどのものだった時代。そのタイミングに巡り合った建築家は大きな業績を残すことに・・・。

 

Paris

 
 
 
 
 
 
 

Cite de L'Archtecture & du Patrimoine に「 Marcer BREUER(マルセル・ブロイヤー) Design & Architecture 」展を見に行く。モダニズムの建築家、家具デザイナーであり、「モジュール構造と単一形態の重要性」を示したモダニズムの父の一人とされている。1920 年代、バウハウスで学び、後には同校のマイスター(教官)となっている。「芸術とテクノロジーの融合」を解き、後にベルリンで開業。ワシリー・カンディン スキーのためにデザインした「ワシリー・チェア」を発表する。自転車のハンドルに構想を得て、自転車用の工具で簡単に組み立て・分解が出来るこの椅子は大 量生産に向いていた。1930年代、ドイツでナチスの台頭によりユダヤ人であるブロイヤーはロンドンへ移る。最終的にはアメリカに移住し、ハーバード大学 で建築を教える。そのときの生徒がフィリップ・ジョンソンやポール・ルドルフだという事にも驚く。バウハウス以来、ハーバード時代の同僚でもあるヴァル ター・グロピウスと共にボストン郊外の住宅を幾つも設計する。1940年代、グロピウスと別れてNYへ移る。1953年のパリ・ユネスコ本部の設計はブロ イヤーにとって最後の大きな転換期となる。ヨーロッパへの帰還、巨大プロジェクト、そして初めてコンクリートを使用した。曲線を用い、彫刻的な表現を特徴 とする「ブルータリズム」の先駆者となり、「コンクリートで柔らかさを表現した」初めての建築家となる。

子供の頃、父の設計した家にさまざま家具があったけれど「ブロイヤーの椅子」と呼ばれていた椅子に 座っておやつなど食べていた私は、ブロイヤーというのはきっと両親の友人のデザイナーのニックネームかな?と思っていた。私にとっては「家具のデザイ ナー」であったブロイヤーの建築作品の規模にも驚く。ボストンに居た頃に訪ねたグロピウスの家は、こんな背景で建てられたのだと思いを巡らす。ベルリン、 ロンドン、ボストン、NY・・・、一言で「拠点を移す」と言っても、実際には大変な事。戦争に翻弄されることのない時代に感謝する。

 

Paris

 
 
ランドスケープ・アーキテクト クロアチア人の 「NIKOLA BASIC」の展覧会を見る。自然の景観を人工的に作り出すっていうことなのかな?と思いながら、ヴェルサイユ宮殿はル意14世の「自然をも支配する」という考えのもと、全て人工的に作られた自然、というのを思い出す。

 

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セーブルはフランスを代表する磁器。パリ郊外のSevreに国立の製造所があり同じ敷地内に Musee National de Ceramique、セーブル陶磁器美術館がある。製造所の付属施設ではなく、世界各国の古今の陶磁器を集めた総合的な美術館。川岸にどっしりと建つその 姿も美しく、背後に広がる広大な製造所はさすがに国立というだけあって素晴らしい施設。友人のD氏がボザール(国立の芸大)の学生だった頃この製造所でひ と夏研修をして、たくさんのセーブル焼きを作ったそうで、今もボザールの学生を受け入れているという。一つの分野に特化することなく、さまざまな分野の制 作に関わる経験を若いうちに出来る環境は素晴らしいと思う。

 

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expo index セーブル美術館のホールで友人のお茶の先生がフ「ランス人の陶芸家の作品でお茶を点てる」という催しに伺う。静かにセレモニーが進み、美しいその所作にフランス人も目を凝らす。物音一つ立てないように、TVカメラの機械音だけが聞こえる・・・。 page top

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